2012年3月 2日 (金)

中国遠征2011-2012 1日目

 先発隊に遅れること4日。羽田朝発の中国国際航空で北京経由、貴陽に向かう。前回までは広州まで全日空、そこから国内線乗換えをしていたのだけれど、ダイア改正で全日空が使えなくなったこと、オーバーエクセス(預け荷物超過料金)を減らすため枠に余裕のある全日空(マイルでビジネスクラス利用が可能だった)で広州まで行き、国内線の距離を短くするという考えを取っていた。
 国際線が長いほうがお酒もたくさん飲めるというのは、おまけの理由。

 だが、ここ数年でエコノミークラスでも23Kg を2個持てる航空会社が増え、そのメリットはなくなり、そして中国国際航空もから同じ23x2となり、国際線から国内線を同じ航空会社を使えば、国際線の荷物既定が使えるとなれば、中国国際航空以外の選択肢がなくなってしまった。広州経由の中国南方航空は20キロの重量制を維持していたし。

 ただ全日空と中国国際航空ではやっぱり全日空の方がサービスは良かったなあ。

 そんなこんなで、北京空港で関西空港からの参加者と合流し、貴陽空港に着き、迎えの賀衛らと合流して先発隊の居る洗馬に車で向かった。
 洗馬までは2時間ほどの距離である。空港に着いた時点で夕闇に包まれ始めていたので、道々の景色はまったく判らなかった。

 洗馬に着いて、荷物を宿舎に放り込んだあと、すぐに先発隊が夕食中の現場に行くこととなった。宴たけなわのところに後から行くのはなんというか、ばつが悪い。というわけで、先発隊とは別の部屋で夕食を取る。
Pc300668

 夕食後に、MTGでそれまでの活動報告を聞き、翌日の予定を決める。今回宿は2箇所に別れており。夕食&MTGを行う宿には中国隊の偉い人が主に滞在し、もう一つの宿に日本隊と中国隊の若者が滞在する形となっていた。

Pc300670

 そんなこんなで、初日は何もしないまま終わった。

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2012年2月29日 (水)

中国遠征2011-2012

 石朝泥高遠征も4日目で更新が止っているが、この年末年始にも貴州に行って来た。

 今回は場所を変え、省都である貴陽の東北東100kmもない場所にある洗馬地域である。

 先発隊は12月23日から、私は休みの都合上、27日からの参加となり1月4日に帰国した。
先発隊が入った当初は、あまり大きな穴に恵まれず、はずれかと思っていたが、私が合流して最初に行った穴が大当たりであった。洞口は流入型の大きな横穴であったが、すぐに竪穴となって、垂直に80m落ち、降下点のホールから少しずれた先で、さらに200m以上垂直に落ちていた。他にもジプサムのある穴とかいくつかに入洞したので、その辺の話を少しずつ書いて行こうと思う。ついでに、石朝泥高の続きも書かねばなるまい。

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2009年9月 5日 (土)

石朝泥高2008遠征4日目

R0029742 12月26日。朝8時半にいつものように、いつもの麺の朝食を食べる。日本では日によってパンやご飯とバリエーションに富むが、なかなかそうはいかない。

 9時過ぎに4WDの車で出発して、風背洞付近まで行き、そこから徒歩で山の鞍部を越える。R0029784_2
ちょうど風背洞の山の裏側にあたるあたりに溺水洞がある。洞口には9時半に到着し、とりあえず用意をして入洞する。

 事前情報では200mほどでホールがあって終わりというようなことであったが、実際、そんな感じではあったものの、主洞に平行したり直行する支洞がかなり多く迷路状となっていた。R0029786これらの支洞は幅1-2m、天井高さ3-5mほどで、割れ目に沿った構造支配を受けている。 またし水流沿いに残された小さなプールにはおたまじゃくしや、水ビルなどの生き物が結構生息していた。

 そして、これらのホールや通路よりも一段低いレベルに水流があり、R0029763_4そちらを詰めることとなった。
   とはいえ、10時半には水流の最奥部に到達した。最後は泥が堆積した中を水が流れ小さなプールで終わっていた。 そのすぐ手前には風の吹く極小洞窟が続いているものの、ディギングしなければ通れそうに無いので断念する。 R0029776_3最奥から20mほど手前に上層に通じる通路があったので登ってみると、崩落でできたホールがあったが、その上部はやはり崩落で塞がれており進行できなかった。R0029794

 一旦、洞口まで戻り、昼過ぎから測量を開始した。3時間半ほど洞口から200mほどのホール付近までの測量を行い、 出洞する。

 帰りがけに、溺水洞ちかくにある民家に招待されたので、お茶を飲みに寄った。R0029800この民家の庭の脇にある小屋には、豚と鶏が同居していた。まさしく、鳥インフルエンザが豚員インフルと交雑し、危険なウィルスになる環境を見事に整えているが、そんなことは、全然気にはしなかった。 それよりもお茶だけで済むのかという方が、問題であった。

R0029802  この地域の農家に足を踏み入れるのは私は初めてであったが、基本的にはやはり土間で石炭ストーブがありベッドがあるという感じである。ポスターや天井から吊るしてある干し肉などが印象的であった。
 ちなみに結局、甘いことは無く、自家製?とも思われるポリタンに入った白酒をご相伴することとなった。 まあ、さすがに夕方でもあり帰らねばならぬということで、数杯飲んだだけでお開きとなったが、その数リットルはあるお酒は、何故かそのまま宿舎に持ち帰られ、R0029835 その日の夕食のお供となったのは言うまでもない。

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2009年8月21日 (金)

石朝泥高2008遠征3日目

R0020461  12月25日である。世の中はクリスマスだが関係ない。朝は8時半頃から食事となる。ここ貴州は朝が遅い。というのも基本的に時間は北京の時間であり、北京より西にある貴州は日の出も日の入りも遅い。そのため、夜明けと共に動き出してはいるのだが、それは8時ごろということである。

R0029543  いつものように麺の朝食の後、洞窟へ行く荷物を用意する。今回の宿は昨年と異なり、吹き抜けのエントランスホールがあり、回り階段もあるし、ホールを囲うように部屋があり、非常に快適そうに見える。R0029544後述するが、いろいろ問題はあるものの雰囲気は非常に良い。

 やはり初日はいろいろと時間がかかり、9時半頃に徒歩で出発する。貴州の冬はずっと曇りで晴天がないということではあるが、まだ冬の入り口のせいか、異常気象のせいかは知らないが、この日はすっきりとした青空が広がっていた。R0029553 車の通れる緩やかな下りの道路となる。道路脇にはウバーレが広がり、その底を流れる川の流入口や流出口があるのが確認できる。実際には、影になっていて見えなかったりするけれども。宿から40分ほど歩いた場所で道路から逸れ、東に向かう山道に入る。R0029572ずっと東側にあった100-200mぐらいの小山の鞍部を抜けると、視界は一変する。石朝は石灰岩台地状にある平坦な場所(というかウバーレ)にあるのだが、その台地の縁に出たということである。 ふもとまでの500mに及ぶ落差が見渡せる。下の川沿いにも集落が見え道路が見えるのであるが、地図で確認する限り、その道路にアクセスするには数十kmでは効かない距離を迂回しなければならないようである。R0029574

 この台地の東縁を北にずっとトラバースして行く。途中に幾つか小さな洞窟があるが、そんなものは無視である。おそらく数十mもないであろう。そして台地の北面に出たあたりで高さ200-300mの岩壁が見えてくる。この岩壁の基部に冷水岩洞が開口している。洞口までは宿から1時間半ほどの距離である。R0029582

 この洞窟からは水が流れ出ており、水路を作り耕作や飲み水に使用しているようである。洞口は二つあるのだが、探検の都合上上流側にある入り口から入洞する。入ってすぐは斜面を降りるが、すぐに河原のある水路に達する。R0029598 ここでボートを用意して奥に進むのである。入り口付近の水深はおそらく歩いても行けるぐらいであるが、一旦濡れてしまうと、その後の探検活動に支障をきたすため、基本的には濡れずに活動できるようにしている。それに奥に行くと確実に足が付かない水路となる。

R0029607  この日は、洞口付近の再測量(昨年、測量に失敗した)と、奥にある落差30mほどの大滝の上にある20mほどの滝を登った先の探検の2班である。私は洞口付近の再測量を行う班となったので気楽なものである。

R0029618_2  しかし、探検開始前にいきなり、一艘のボートがパンクする。使用しているボートは100kgまでの耐荷重のあるPVCのボートであるが、水底にある尖った岩に接触して体重を乗せると容易に避けてしまう。

R0029645  そのため、水際からある程度はなれた場所まで行ってから乗り込むようにしているのであるが、初日ということもあり、そのことを失念した隊員が、水辺のしかも岩の上でいきなり乗り込み、大きく裂いてしまったのである。結局、このボートはベースキャンプでも修理できず廃棄処分となった。
R0029666  そんな訳で5艇用意していたボートが4艇になり、奥の班は3艇必要としていたので洞口班は一艇のボートでの運用となり、やや水上の測量に支障をきたした。

 測量は、基本的に2名で行い、スントコンパスとレーザー測距器を使用する。いずれの測量器具も2-3万円ほどで購入できるものだ。かつてはGLコンパスとエスロンメジャーを使用していたが、もはや元には戻れない。R0029673

 12時頃から測量を始め16時半頃に終了した。奥の班を1時間ほど待ち、18時に帰路に着いた。帰りはずっと登りになるので辛い。それでも2時間弱で宿に戻り、遅い夕食である。

R0029714  夕食後21時半頃から30分ほどMTGを行い、そのあとは測図編集である。今回の宿の作業部屋にはまともな暖房が無く、小さな電気ストーブだけだったため非常に寒い。R0029731 その代わり、各自のベッドには電気毛布があるので、夜は快適に眠れる。しかしながら、手のかじかむ中で、製図というのは、なかなか辛い。そして24時頃には皆就寝したと思われる。

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2009年2月27日 (金)

石朝泥高2008遠征2日目

R0020408 朝8時頃に通りまで出て、朝食を食べに行く。中国では家庭で朝食というよりも、街中の店や屋台で朝食を済ませるというのが一般的なようで、多くの人が食事をしている。主な火力が炭や石炭ということを考えると、毎朝火を各家庭で起こすよりも能率的ということもあるのかもしれない。R0020440この日はホテルから300-400mほどのところいある麺屋さんで食べた。貴州の朝は麺が多い。北京あたりだと油で揚げたパンだったような気がするし、地域によってずいぶん異なるようだ。麺にしても貴州と広西壮族自治区とではまた味付けが違う。貴州は真っ赤なスープに砕いたあばら骨付豚肉というのが良く出てくる。

R0020434 食後、9時ごろに出発となり、バスに揺られ、10時40分には烏河を越える。2年前には道路工事のためにこの1時間40分の距離を8時間近くかけて通った記憶がある。今年は、道路工事もほぼ終わり、快適なバスの旅となり遵義市も昼前に通過し、そのしばらく先で昼食となる。 R0020432ここ2年ほどは道路工事のせいもあり烏河のほとりにある料理屋が並ぶ一角の火鍋屋だったのだが、今回は平地の中にぽつんと建っているちょっと寂れた料理屋だった。

 何でこんなところなんだろうと思っていつつ、席に座っていると、トイレから戻ってきたリーポーらが、こっちこっちと呼び寄せるので付いていくと、店の端にある扉へ入っていく。
R0020430 ???と思いつつ中に入るといきなり階段で下に下っていく。地下倉庫? かとも思ったがなんか変。

 すると、酒か何かを貯蔵している甕があり、その先には鍾乳洞がありました。

R0020427  ちゃんと照明(緑とか赤などの怪しいのも含めて)ついているし、通路も整備されている、いわゆる観光洞である。お店の客に公開しているのか、別料金なのかなんだかわからないがと思っていると、テーブルがたくさんある。ん、地下レストランなのかとも思ったが、どうも地下雀荘という感じで使っているようだった。R0020416

 洞窟の大きさは幅1-4m、天井高さ2-4mほどで十分に広く、総延長は200m弱といったところだろう。2層構造になっていて、下層にさらに階段で降りると、その先でとても狭くなって終わっていた。

R0020424  しかし、地表の道路を走り、周りの景色を見ている限り、洞窟がありそうな場所ではなかったのだが、そんなところの地下に二次生成物もそこそこ豊富な洞窟があるとは驚きである。まあ、このあたりの地層の大半は石灰岩なのだから、おかしくはないのではあるけれども。

R0020439_2  ともかく200mもない洞窟でもあるので、見学もそこそこに地上に戻り昼食となる。ちなみに日本人用の鍋は白かったが、中国人用の鍋は赤かった。

 この先の道も順調で17過ぎには務川に到達した。昨年までならば、務川に着くのは21時か22時ごろだったと思うので、大幅に早い。R0020451 そのこともあって、務川には寄らずに直接石朝に向かい、20時頃前に到着したように思う。すぐに食事をして、その後宿舎の整備をし、団体装備の準備や翌日の予定などのミーティングをしたあとに寝たはずである。

 

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2009年2月 2日 (月)

2007-2008遠征 8日目

R0017412  遠征での洞窟活動最終日となる8日目である。この日は前日の活動で早く帰った班のみが半日活動し、明け方4時ごろに戻った4名は活動せずという予定である。

 活動する6人のうち4人は務川近くにあるという洞窟に行き、私ともう一名が断層岩洞で昨年に詰め切れなかった洞口付近から伸びるトレンチ支洞へ行くこととなった。務川班は朝から先に4WDで移動し、夜に務川で合流。R0017404 断層岩班は昼過ぎまで活動し、道路脇で残りのメンバーが乗ったバスを待つということで活動を行った。

 しかしながら、石朝での最終日。素直に出発とはいかず、朝食の後、記念撮影やらガイドへの別れの挨拶、バスへの個人装備の積み込みなどのあと活動に向かった。そんなわけで洞窟に着いたのは11時10分を少し回っており、活動終了予定の14時まで3時間もない。

R0017397  早速、着替えたあと洞口ホールから2mほど上の段差に登るため、昨年打ち込んだボルトにハンガーとアブミを付け、それを足がかりに強引に登る。後続は短いロープを設置してSRTで登る。その方が楽で安全である。登った時点で既に11時半。

 この支洞は幅1-2mほどの天井の高いトレンチが200mほど続き、その先で10mほどのピットになっている所まで昨年探検・測量済みである。今回はその先の調査となる。

R0017385  ピットには程なく到着し、電動ドリルでボルトを打ち込み、降下した。やや水が流れているので濡れる。途中、一箇所プロテクター処理をして8mほどの高さを12時ごろに降りた。

 降下すると少し広いホールになっていて、その先1mほどの段差を降りて、プールがあった。幅がさして広くないのでチムニーで乗り越える。さらに少しトレンチ状の通路を進むと結構な量の水流が流れる音が遠くに聞こえて来た。断層岩洞の本流に接続するのが確実と予想されていた。R0017382ただし高低差がまだ20mはあるはず
だよなと思いつつ、洞を先に進むと水音が消えてしまった。あれっと思いつつも先に進むと、今度は3mほどの滝(といっても水はほとんどなし)に出てしまい、装備がないと降りれないことが判明した。 しかし、ここでも水音は聞こえない。どういうことかと、戻ると途中水尾との一番良く聞こえるところでトレンチを4mほど登ると、横穴があり、そこを5mほど移動すると、深さ20mほどの竪穴があって、その底が断層岩洞の水流であるということが判った。R0017418確かに、昨年の記憶では接続していると思われる箇所で、それまで天井高さが20m近くあったのが、突然5mほどに下がっていたはずなので、その天井高さが変化するあたりなのだろう。さすがに、下から見て横穴があるとは認識できない。こういうところを登攀すればさらに洞窟が続いていることがあるのだろう。

R0017427 さて、ここで先に進むかどうするかを考えると、ロープの予備が無かった(切ればあるが)のと、測量する時間を考えさらに降下せず、可能な範囲を測量することとした。測量中は周囲の様子を注意深く見ることができるので、いろいろなものを見つけることが多い。R0017433 今回は、壁にあいた20cmほどの亀裂の先に、ヘリクタイトを見つけた。それほど綺麗ではないのが残念。

 測量を終え、出洞し道路脇でバスを待つ。この日は、石朝にしては珍しく太陽が出てきたので、とても暖かで、40-50分ほど待ったが苦にならなかった。 バスには既に眠さで轟沈している4名が乗っていた。相変わらず、道は悪く、途中何度か降りて歩いたものの、彼らは結局起きることが無かった。

R0017443 務川には暗くなり始めた頃に到着し、夕食となったが、先に務川近くの洞窟に行った班は帰ってこなかった。 食事は久しぶりに豪華である。現地政府の幹部の人も出てきて、結構乾杯をしたように思う。 そうこうしているうちに、別働班が戻ってきた。聞けば、洞窟近くの民家で夕食をご馳走になったそうである。写真を後で見せてもらったが、なかなか趣のある良い雰囲気であった。

 

R0017436 食後、時間があるのでどうしようかと思っていたところ、その別働班の人達のガイドが、良い店があるので行かないかと誘われているとのことで、それについて行った。

 お茶の店というような説明であったが、お茶菓子とお茶というか、お茶漬けというか、そんな感じのお店であった。最初に、甘い菓子(砂糖を固めたようなもの)を食べ、そのあと米を揚げたようなものにお茶をかけて食べるというもので、この地域の風習なのだろうか。あまり聞いたことの無い食文化でなかなか興味深かった。誰か詳しく知っている人がいたら教えて欲しい。

 この後は、バスで宿舎に戻ったのだが、このバス。ついさっきまで路線バスとして走っていたもので、お茶屋さんに来た運転手が家に帰るついでに乗せてやるみたいな感じだった。このアバウトさというかそういうところは好きである。日本では考えられないけれど、自宅付近に路線バスを駐車できるなら、そのほうが楽なのだろう。自宅に朝早くや夜遅くに移動するための自家用車を持つ必要も、会社に宿泊施設を用意する必要もないのだから。


 

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2009年1月21日 (水)

2007-2008遠征 7日目

R0017221  遠征7日目の1月2日である。丸一日活動できる最終日ということで、全員を風背洞に投入し、風背洞口から冷水岩洞洞口まで、測量を繋げることを目標に活動を予定した。夕方には終わらないことが予想されていたし、特に滝のアタックには時間がかかることは避けられないので、一部の班は活動終了時刻を特に定めず活動を行った。

R0017233  私は、風背洞口より入洞し、途中の20mほどの滑滝である小滝上流にある支洞の測量を行い、終了した後は洞を水流に沿って下り大滝を経て冷水岩洞測量班と合流して冷水岩洞から出洞するという活動をおこなう班となった。班といっても日本人2人、中国人一人である。

R0017243  朝8時食事、10時出発。洞口付近までは車を使うことができたので、入洞は10時半であった。瀧の登攀など時間のかかる班を先行させ、測量現場には12時半頃に着いたた。昼食後に測量開始。測量する支洞は2本で、いずれも水流が流れ出て本流に1-2mの段差の小滝となって合流しているので、見逃すことはない。

 1本目は100mほどで落盤の中を水が流れるような通路で、最後はホールとなり落盤によって進めなくなる。1時間ほどで測量を終え、50mほど下流にある2本目の支洞へ向かう。

R0017258_2  こちらは途中から胸まで水に浸かるというような情報があって、その先に行くかどうか迷っていたが、実際にはチムニーやトラバース可能で長靴に浸水するかどうかというぐらいで済んだ。こちらの支洞は幅が狭く天井が高いトレンチ状通路が続く。途中、2mほどの小さな瀧や滝つぼがあり、そこで2つに分岐している。一つは高低差があり、水が流れ落ちているが、同行していた双刀によれば、30-40m先で通行不能とのことだったので後回しにし、主水流を遡る。すぐにもう一つ分岐があるが水が流れていないので無視して行く。R0017263そこから少し行くと、二次性生物で閉塞した天井が低い通路を過ぎ100mほどで、水流は右岸側3-5mほどの高さからの瀧として流れて出ていた。簡単には登れそうになかったし、水流はほとんどないものの、通路はさらに続いていたので、 そちらを50mほど遡ると急に幅2-3m未満であった通路が拡大し、幅5-10mの落盤で覆われたホール状通路となる。さらに100mほどで岩の隙間から水が滲みだしているところで通路は閉塞していた。ただし、それまでずっと感じていた気流は感じられなくなっていたので、天井付近にさらに続く穴がありそうであったが確認する余裕がなかった。

R0017280_2  というのも、17時に大瀧で集合しボートに乗るということになっていたため、測量を終えた16時15分では、間に合いそうもなかったからである。それでも乗り遅れないよう急いで行動したので周りを見る余裕や写真を撮る余裕がほとんどなかったのだ。支洞を抜け出て小滝に17時前着。3人降りた時点で17時を過ぎ、大瀧に到着したのは予定時刻の20分過ぎであった。R0017289 しかし、到着すると誰もいない。あまり到着が遅れたら先に行って構わないと言うことになっていたので、これは置いていかれたかと、また長い道のりを遡って帰らねばならないのかと思ったが、ほどなく気象班が追いついてきたのでその心配はなくなった。

R0017292 冷水岩洞測量班が来ないとボートがないので、来るまでの間瀧の写真を撮るなどしてすごしていたところ1時間遅れの18時にやって来た。 聞くと測量がまだ終わっておらず、戻りながら測量を続けるとのことだった。ボートは4艘あったので、2艘を測量班以外の5人の輸送に、2艘を測量班に使うこととして、水路を下り始めた。R0017308輸送用ボートは1人乗りなので、二人で水路を下り、所々にある上陸ポイントで一人が上陸、そして残りの一人が空になったボートを曳航して元に戻りというのを繰り返す必要があり、なかなか時間がかかる。

 ただ、測量班も水上では時間がかかるということもあって、測量班と輸送班とでは僅かに輸送班の方が早いかなというぐらいであり、時間がかかってちょうどよいというぐらいではあった。R0017342水の流れはほとんどないとはいえ、ゆったりとは流れているため、水上でボートを固定するのはなかなか面倒である。そのため、スケッチ&コンパスを読む人は唯一ある2人乗りボートにて作業を行っていた。

   結局、洞口近くのボート乗り場に着いたのは20時15分頃と2時間あまりかかった。先に着いた人は寒いと洞口付近で焚き火などをしていたけれど、寒さを防ぐほどとはならなかった。

R0017344_3 ここで、私はふと長靴が足首の辺りで大きく裂けていることに気がついた。 いつから裂けていたのか覚えていないが、ボートの乗り降りの際に浸水するような気配を感じなかったので、洞口付近で何かに引っ掛けて裂けたのだろう。ケイビング用に使っているフランス製(ではないかもしれないが)の長靴は靴底のブロックパターンが大きく、裏地がないので乾きが早いなど良いのだが、この裂けやすいという特性はデメリットである。R0017350これまでに何足か駄目にした。古くなると駄目になるというわけではないので、靴底の磨り減っていないものが駄目になるのは悲しい。ただ、調査活動をほぼ終えた日であったのは幸いだ。

 焚き火を消し、洞口から外に出ると、満点の星空となっていた。貴州は基本的に冬場は晴れることがなく、ずっと曇り空か霧雨が降るような天気なので、これには驚いた。帰り道を知っている冷水岩洞班に続いて帰り道を進むが、暗い中なので途中道に迷いながら、そして昼間ならすばらしい眺めであろう、台地下の集落の明かりを左手に見ながら、1時間ほど後に台地の縁の鞍部を超え、21時半に車の通れる道に出た。R0017351すると帰りの遅い我々を心配してか、怪しいことをしてるんじゃないのかと疑ってかは知らないが、公安警察の車などが待っていてくれた。この場所から宿舎まではさらに30-50分ほど歩かねばならぬので、車はありがたい。3台ほどの車に分乗して宿舎に戻った。残念ながら私は公安の車には乗れなかったけれども。やはり人気が高かった?

 
 

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石朝泥高2008遠征初日

 昨年の遠征報告 も途中であるけれど、記憶のはっきりしているうちにいくらか書かねばなるまい。昨年の残りも平行して進めたい。

R0020392  さて、今回の遠征は昨年度の遠征で詰め切れなかった部分の追加の調査と、そろそろ石朝も終わりそうということで、新たな地域の偵察という目的で行われた。暦の関係で12月23日出発1月4日帰国としたが、休みの取れない者もいたので、23日出発6人、12月25日出発4人とに別けての出発とした。私は23日出発であった。

今回もこれまでと同じく、成田発、広州経由、貴陽行きである。今回は昨年までと異なり、団体装備を全員で分担せず団体装備用のダッフルバックを2個用意し、入りきらなかった分を分担して持っていくこととなった。各個人の分担する団体装備の量が減って楽になった分、つい余計なものまで持ってくるということになり、全体の装備重量は増えたかもしれないが、装備管理など運用面でのメリットは大きい。R0020396往路の全日空はマイル特典で取ったビジネスクラス2席があることもあってか、オーバーエクセスはなかったが、広州から貴陽の中国国際航空便では700元(9100円ぐらい)ほど取られた。確か、オーバーした重量は70キロぐらいだったように思うので1キロ10元ということか。国際線に比べればずいぶん安いし、国際郵便よりも安いだろう。

R0020397 成田集合7時45分で、貴陽に着いたのは18時ごろである。時差は1時間ある。空港に着くと懐かしい顔が迎えに来ていて、そのままマイクロバスで宿に移動する。宿にチェックインし、すぐに近くの食堂に行った。この食堂、「干先生食園」という名前なのだが、一瞬、生食と切って読んでしまい、むむむ生肉でもでるのかと思ったが、本当は先生で切るところなんだろう。というのも、この食堂や宿は、貴州師範大学内にあるからだ。

R0020406  昨年はもっと遅い時間に貴陽に着いたので夜はのんびりできなかったが、今回は18時と早い時間であったので、食後に宿に戻った後、周辺を散策する時間があった。確か4人ほどで30分ほどではあるが、ふらふらとしてきた。

 夜になると場所にもよるが、写真のような大きな屋台や、リヤカーに載るぐらいの(リヤカーに載っているわけではない)小さな屋台などもあり、夜11時過ぎでも人通りも多くにぎやかである。肉や魚の鍋や肉の串焼きなど色々な料理屋が並んでいた。

 

 

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2009年1月 9日 (金)

帰国

 中国貴州省より4日(日)に帰国した。現地で雪に降られたこともあり、予定よりも活動が一日減った一方、道路状況が改善して半日活動予定が一日活動できるようになったので、トータルで見ると半日活動時間が少なくなったと言うところであった。

 しかしながら、13日間の遠征期間で6日間の洞窟活動日と言うのはやはり効率が悪い。本来なら半月~一ヶ月は行きたいところだけれど、人数が集められないのでやはり無理だろう。

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2008年12月23日 (火)

中国に出発

 今日から中国貴州に洞窟調査に行ってきます。今はANAラウンジでだらだらしてますが、朝早い便だったので、始発電車で乗ってきたけど、あまり空港で時間が無い。
 まもなくゲートに向かいます。良い成果が出せることを祈りつつ。

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