2月12日(日)に久慈市内間木で氷筍祭があるので行って来た。
内間木洞は年に2回、一般公開されている洞窟で総延長6kmを越える。1990年半ばから2000年頃までの調査では延べ数十回以上入洞している馴染み深い洞窟である。測量、編集を担当した北洞を始めとして、洞窟の半分以上の区間は地図なしでも自由自在に行動可能だ。地図なしといっても普段から洞窟に入るのに地図なんぞ持って入ることは稀である。地図無しで帰り道を見失うということは、この20年余り一度もない。ただ地図がないと人が滅多に入ることのない領域になかなか行けないのは確かではある。
金曜の夜に東京を出発し8-9時間ほどかけて到着した。岩手県内は雪道となっているので普段よりも時間がかかる。
土曜は地元の人を洞窟に案内しつつ、彼らを案内人として養成することと、東日本大震災の影響を調べることの二点の目的があり、前者は午前中、後者は午後に行うこととなっていた。
午前中の養成については、友人が担当していたので私はお手伝いということでカメラを持ってうろうろしていたぐらいである。この養成。内間木洞ガイド養成講習ということで子数年開催されており、この講習を受けることで内間木洞の案内人として認定されるというものである。内間木洞は、一般公開以外にも、要望に応じて児童などの教育団体にも公開されることがあり、その際に案内人のガイドが必要となっていたように思う。認定されると案内人カードが交付されるらしい。もちろん私は案内人にはなっていない。洞窟の半分ぐらいの区間を知り尽くしているので洞内案内は可能だろうけど、小学生に判りやすくいろいろなことを説明する知識を持ち合わせていないということにしておこう。
この日は稲妻洞という区間への案内である。参加者が20人以上いるということで、随分渋滞するかと思ったが、それほどではなかった。
ガイド講習の様子。水没のため渋滞中
降雪量も少なく寒いので水没区間に水がないのではないかと思ったが、残念ながら水があったようで稲妻洞の奥にある銀河の瀧までは全員を連れて行くことができなかった。完全水没ではなく、空間が40cmほど空いていたので胸まで水に浸かれば行けたのだろうが、洞窟外は氷点下であるのでさすがにみな躊躇したのだろう。夏ならば迷わず突っ込むところである。ここを突破しない場合、すぐ手前にある煙突穴という10mほどのチムニーを登り、水没部の先のメアンダートレンチを8mほど降りる必要があり、初心者にはやや難しいコースとなる。足場は多いので難しくはないのだけれども、体が硬い、思い切りが悪い、高所恐怖症などがあると、かなりきついコースとなる。
水没部には銀河の瀧からの水流が流れ込み、この水没部で地下に浸透している。水位が高い時は水面の向こうに見えている隙間が1mあまり完全に水没する。
結局、チムニーを行ったのは10人ほどで残りの人は先に戻ることとなった。
銀河の瀧
銀河の瀧は高さ15mほどだったろうか。ここを登るとさらにいくらか洞窟が続いているが今回は登っていない。まだコードが残っているので登ることは困難ではないと思うが、メンテナンスをしないとあと何年かで登るのに躊躇することになるだろう。
出洞したのは午後1時過ぎで昼食のあと、再び洞窟に戻る。今度は風寒洞という区間に行った。事前情報で地震の影響かで通路がふさがれているとのことだったので、その確認である。
風寒洞の死の谷。フリーでも通過できるけどちょっと怖い。
途中、いくらかロープの補助があったほうが良い箇所を過ぎた先に、狭い場所をくぐってその先をフリーで下りる箇所があるのだが、その狭い場所の周りの石が一つ崩れていた。完全に塞がれているわけではないが、通過困難になっていて、その場ですぐに取り除くことが困難だったので、このルートは断念した。もう一つ使っていなかった別ルートもあるのだが、こちらはラダーなどの装備が必要そうということで、こちらも断念とあいなった。
また次回来る時に適当な装備を持ってくれば岩の排除は可能だろう。
最近のコメント