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2012年2月29日 (水)

中国遠征2011-2012

 石朝泥高遠征も4日目で更新が止っているが、この年末年始にも貴州に行って来た。

 今回は場所を変え、省都である貴陽の東北東100kmもない場所にある洗馬地域である。

 先発隊は12月23日から、私は休みの都合上、27日からの参加となり1月4日に帰国した。
先発隊が入った当初は、あまり大きな穴に恵まれず、はずれかと思っていたが、私が合流して最初に行った穴が大当たりであった。洞口は流入型の大きな横穴であったが、すぐに竪穴となって、垂直に80m落ち、降下点のホールから少しずれた先で、さらに200m以上垂直に落ちていた。他にもジプサムのある穴とかいくつかに入洞したので、その辺の話を少しずつ書いて行こうと思う。ついでに、石朝泥高の続きも書かねばなるまい。

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2012年2月28日 (火)

内間木洞氷旬祭り2

 震災の影響を確認後、出洞する前に氷筍の写真撮影を行った。翌日は数百人の人が来ることになっていたので、のんびり写真撮影ができないからである。

 今年は降雪量が少ないせいか氷筍の発達は良くないが、低温であるため奥深くまで氷筍が生成していたようだ。また背はいつもより高いように思う。毎年毎年、違った様相を見せるので氷筍は面白い。
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 最後の写真は洞窟の天井付近の割れ目の中に発達した氷の結晶である。こうしたものを見たのは初めてだった。おそらく毎年できていたのだろうが、気付かなかった。

 夜は温泉に行き、戻って差し入れられた熊鍋の夕食を食べ、お酒を飲んで寝た。

翌日は、豆腐田楽や岩魚の塩焼きやら焼きそばなどの出店も出て、お祭りらしい風景に一変した。
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P2121318 味噌田楽ともち田楽
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 氷筍祭りのメインイベントである氷筍観察は、ヘルメットを貸し出し、人数制限しながらずっと行われていた。洞窟内の主要箇所には説明員が配置され、氷筍のできかたなどいろいろ説明を行っていたようである。ちなみに今年は入者数390名、前年比+60名とのことである。

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 洞口周りは雪に覆われているが、例年に比べるとかなり少ない。多いときはほぼ洞口が埋まって掘り出さねばならぬほどだというのに。異常気象なのか通常の変動の範囲なのかはよく判らないけれども。

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内間木洞氷旬祭り1

 2月12日(日)に久慈市内間木で氷筍祭があるので行って来た。

 内間木洞は年に2回、一般公開されている洞窟で総延長6kmを越える。1990年半ばから2000年頃までの調査では延べ数十回以上入洞している馴染み深い洞窟である。測量、編集を担当した北洞を始めとして、洞窟の半分以上の区間は地図なしでも自由自在に行動可能だ。地図なしといっても普段から洞窟に入るのに地図なんぞ持って入ることは稀である。地図無しで帰り道を見失うということは、この20年余り一度もない。ただ地図がないと人が滅多に入ることのない領域になかなか行けないのは確かではある。

 金曜の夜に東京を出発し8-9時間ほどかけて到着した。岩手県内は雪道となっているので普段よりも時間がかかる。

 土曜は地元の人を洞窟に案内しつつ、彼らを案内人として養成することと、東日本大震災の影響を調べることの二点の目的があり、前者は午前中、後者は午後に行うこととなっていた。
 午前中の養成については、友人が担当していたので私はお手伝いということでカメラを持ってうろうろしていたぐらいである。この養成。内間木洞ガイド養成講習ということで子数年開催されており、この講習を受けることで内間木洞の案内人として認定されるというものである。内間木洞は、一般公開以外にも、要望に応じて児童などの教育団体にも公開されることがあり、その際に案内人のガイドが必要となっていたように思う。認定されると案内人カードが交付されるらしい。もちろん私は案内人にはなっていない。洞窟の半分ぐらいの区間を知り尽くしているので洞内案内は可能だろうけど、小学生に判りやすくいろいろなことを説明する知識を持ち合わせていないということにしておこう。

 この日は稲妻洞という区間への案内である。参加者が20人以上いるということで、随分渋滞するかと思ったが、それほどではなかった。
P2111158_2 ガイド講習の様子。水没のため渋滞中

 降雪量も少なく寒いので水没区間に水がないのではないかと思ったが、残念ながら水があったようで稲妻洞の奥にある銀河の瀧までは全員を連れて行くことができなかった。完全水没ではなく、空間が40cmほど空いていたので胸まで水に浸かれば行けたのだろうが、洞窟外は氷点下であるのでさすがにみな躊躇したのだろう。夏ならば迷わず突っ込むところである。ここを突破しない場合、すぐ手前にある煙突穴という10mほどのチムニーを登り、水没部の先のメアンダートレンチを8mほど降りる必要があり、初心者にはやや難しいコースとなる。足場は多いので難しくはないのだけれども、体が硬い、思い切りが悪い、高所恐怖症などがあると、かなりきついコースとなる。
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 水没部には銀河の瀧からの水流が流れ込み、この水没部で地下に浸透している。水位が高い時は水面の向こうに見えている隙間が1mあまり完全に水没する。

結局、チムニーを行ったのは10人ほどで残りの人は先に戻ることとなった。
P2111179 銀河の瀧

 銀河の瀧は高さ15mほどだったろうか。ここを登るとさらにいくらか洞窟が続いているが今回は登っていない。まだコードが残っているので登ることは困難ではないと思うが、メンテナンスをしないとあと何年かで登るのに躊躇することになるだろう。

 出洞したのは午後1時過ぎで昼食のあと、再び洞窟に戻る。今度は風寒洞という区間に行った。事前情報で地震の影響かで通路がふさがれているとのことだったので、その確認である。
P2111228s 風寒洞の死の谷。フリーでも通過できるけどちょっと怖い。

 途中、いくらかロープの補助があったほうが良い箇所を過ぎた先に、狭い場所をくぐってその先をフリーで下りる箇所があるのだが、その狭い場所の周りの石が一つ崩れていた。完全に塞がれているわけではないが、通過困難になっていて、その場ですぐに取り除くことが困難だったので、このルートは断念した。もう一つ使っていなかった別ルートもあるのだが、こちらはラダーなどの装備が必要そうということで、こちらも断念とあいなった。

 また次回来る時に適当な装備を持ってくれば岩の排除は可能だろう。

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2012年2月27日 (月)

九州洞窟談話会その3

二日目は朝から各班に別れ、洞窟に行くこととなっていた。

 私はといえば、前日から行われていたSRT講習の引継ぎで屋外でSRT昇降の講師。午後から実際に洞窟に連れて行くという班に振り分けられていた。

 前日は7人ほど練習生が居たようだが、二日目は3人のみとなっていた。宿舎から10分ほどの林の中に入り、適当な木を使っての講習である。
P2191362_3 木を使った講習

 講師役は3人いたので、前日の入洞で装備が汚れていたこともあり実演は残りの二人にお任せして、なんというかおまけ的な存在で練習場所に居ただけである。それでも時折、アドバイスはしていたけれど。

 午後からは、前日リギングした竪穴に入洞である。実は午前中から昨日のSRT講習での講師達が最深部目指して入洞しているのである。彼らは講習というより既にファンケイビングである。講習のためなら2ピッチぐらいのリギングで何も最深部までセットしなくても良かったよなあと気付いたが後の祭りである。私も最深部に行ったことはないのでよしとしよう。
P2191374_2

 平尾台は翌週に山焼きを控えていたこともあり、枯れた草がぼうぼうに生えている。山焼き後ならば石灰岩がもっと多く見えるはずだ。洞口はそんな草原の中のドリーネ底にある。アプローチに使うラインの適当なアンカーがないので駐車した車をアンカーに洞口脇の岩まで降りていく。そこでリビレイを行い降りるのである。
 この日は3人の訓練生の練習が主目的であるので、リビレイ箇所で人が待機して、動作確認をした。そんなこんなで全員が降り、さらに2ピッチ下まで降りることになった。
P2191398_2 第二ピッチヘッドより。2箇所のディービエイションが使われている。

 2ピッチを降り始めた頃に最深部のパーティが出てきたので2ピッチですれ違いを行うが、さすがに最深部に行って来た連中は動作が速い。あとで登ることになった訓練生とは速度が3倍以上は違う感じである。まあ、初めてのSRTではそんなものだろう。
P2191421_3 洞口ピット

 そんなこんなで、私以外の5人が2ピッチ下まで降りて登り返して撤収となった。私はただ写真を撮るだけの人。予想していたよりも昇降に時間がかかり撤収は予定よりも1時間あまり遅れてしまい、談話会の解散予定時刻寸前となってしまってほかの人に迷惑をかける結果となった。2時間あれば余裕と思っていたけど、やっぱりそこは初心者ということでさらに余裕を見るべきであった。

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2012年2月22日 (水)

九州洞窟談話会その2

 そんなこんなで、帰着が遅れ宿舎に戻ると既に夕食も終わり夜の企画であるというか、本来の目的である談話会が始まっていた。
 遅い夕食を頂いたあと、談話会に参加というか傍聴した。
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 談話会の内容は各大学ごとに15分の活動に対する安全対策などについて口頭講演を行い、5分間の質疑応答でというものである。大学ごとに計画書の審査や提出の時期など、いろいろである。質疑応答でも突っ込んだやり取りもあるなど、参加者の意識は高いように感じた。談話会は19時から22時ごろまで行われていた。
 談話会のあとは懇親会。交流会かなということで、いくらかのお酒とつまみが出て、翌日の行動パーティごとに輪を作ってMTGがてら始まった。途中、中国峰林プロジェクトに参加した岡大学生による活動紹介のスライドなども・・・いやこれだけか・・・あり、後は自然解散となった。私は寝不足(前夜は3時間睡眠)のはずなのに何故か明け方の4時ぐらいまで起きていた。きっと楽しかったのだろう。

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2012年2月21日 (火)

九州洞窟談話会その1

 先週末に九州洞窟談話会があったので行ってきた。
佐賀大、九州大、長崎大、熊本大、鹿児島大の各探検部と山大洞研、岡大ケイビンググラブ、カマネコ探検隊、日本洞窟学会洞窟救助委員会の参加があり、計40名以上の参加者となった。会場は平尾台である。

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 初日午前はSRT講習の座学、午後は林でのSRT講習と、消防による救急救命講習が行われた。
 私は翌日のSRT講習で使う予定の深さ90m程の竪穴のリギングを行った。ドリーネ底にある洞口から5ピッチで最深まであと少しまで達したあと、すぐに10m弱登り返し、横穴を少し移動しながらさらに2ピッチで最深部のプールに到達する穴だ。

 本来リギング予定ではなかったのだが、諸般の事情で急遽行うことになってしまった。

 この穴には20年以上前に第一ピッチだけ降りたことがあるだけなので、実質的に初見のようなものだ。所見の穴のリギングは楽しいので、まあいいかと写真撮影を諦め引き受けた次第だ。

 この穴は短めのピッチが多く装備を多用する。そう、多用するのだが、そんな面倒な穴だという記憶が欠如していた私は惜しげもなくハンガーを使用してしまった。結果4ピッチ目でハンガーをほぼ使い果たしてしまい、その後のリギングに支障がでた。不足したハンガーは4個ぐらいではあるのだけれど、5ピッチ目では最後の一つのハンガーとナチュラルを使用した。ここはかなり怖いトラバースのリギングをするか、一度底まで降りて難しいフリークライムをするかというリギングが行われるようであったが、トラバースには装備が足りないと、降りることにした。しかし、5mほど降りたところで、「振り子できるんじゃね」とチャレンジしたら、やや難しかったものの、降り口と反対側にある横穴に飛び込むことができた。この時点で入洞後2時間半ほど経っていた。下の写真はややピンボケであるが振り子写真。

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 その先はリギングを交代してもらい、お役目御免とばかり暢気にしていた。交代者は装備がないので随分悩みながらリギングしていた。目の前にハンガーがあれば使えるアンカーがあり楽々リギングできるのに、無いのはつらいだろう。

 しかしついに最終ピッチまで行ったもののナチュラルアンカーがなく降りれないという。装備のテープ二本。どれどれと、アンカーを探してみると、周囲には確かにない。もっと戻ればあるのだろうが、プロテクターもなく厳しいという感じ。けれど、もっとよく探してみたら、泥の詰まった小さなアイホールを発見できた。ロープ一本が通るぐらいの穴で長さも5-6cmほどか。岩の厚さは1cm強というところだったと思う。

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 普段なら使わないが、同じようなアイホールをもう一箇所見つけ、Yビレイが作成できたので、大丈夫と判断して降りた。ロープやテープをアイホールに通すのに5分から15分ほどかかった。こういう時のために引っ掛け可能なピンのようなものがあると便利かもしれない。

 さて最深部にはプールがあると聞いていたので期待して見に行ってみるものの、残念ながらあまり綺麗ではなく撮影意欲がわかなかった。もともとリギングということで防水コンパクトデジカメしか持ち込んでいないので、綺麗に撮れるわけもないのだが、美しければ翌日行こうと考えていただけに少し残念であった。

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 そんなわけで最深部に入洞後4時間ほどかけて到着し、登り返し始め、1時間ほどで出洞した。最後の一人が出たのはさらに1時間後。振り子やきつめのディーヴィエイションなどにてこずった模様である。振り子は、私でも日本で使うのは2度目ぐらいで、あまり使うことがないので経験のない人には難しいのかもしれない。手順さえ覚えてしまえば、それほど難しい訳ではないのだけれども。

 

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