石朝泥高2008遠征2日目
朝8時頃に通りまで出て、朝食を食べに行く。中国では家庭で朝食というよりも、街中の店や屋台で朝食を済ませるというのが一般的なようで、多くの人が食事をしている。主な火力が炭や石炭ということを考えると、毎朝火を各家庭で起こすよりも能率的ということもあるのかもしれない。この日はホテルから300-400mほどのところいある麺屋さんで食べた。貴州の朝は麺が多い。北京あたりだと油で揚げたパンだったような気がするし、地域によってずいぶん異なるようだ。麺にしても貴州と広西壮族自治区とではまた味付けが違う。貴州は真っ赤なスープに砕いたあばら骨付豚肉というのが良く出てくる。
食後、9時ごろに出発となり、バスに揺られ、10時40分には烏河を越える。2年前には道路工事のためにこの1時間40分の距離を8時間近くかけて通った記憶がある。今年は、道路工事もほぼ終わり、快適なバスの旅となり遵義市も昼前に通過し、そのしばらく先で昼食となる。 ここ2年ほどは道路工事のせいもあり烏河のほとりにある料理屋が並ぶ一角の火鍋屋だったのだが、今回は平地の中にぽつんと建っているちょっと寂れた料理屋だった。
何でこんなところなんだろうと思っていつつ、席に座っていると、トイレから戻ってきたリーポーらが、こっちこっちと呼び寄せるので付いていくと、店の端にある扉へ入っていく。
???と思いつつ中に入るといきなり階段で下に下っていく。地下倉庫? かとも思ったがなんか変。
すると、酒か何かを貯蔵している甕があり、その先には鍾乳洞がありました。
ちゃんと照明(緑とか赤などの怪しいのも含めて)ついているし、通路も整備されている、いわゆる観光洞である。お店の客に公開しているのか、別料金なのかなんだかわからないがと思っていると、テーブルがたくさんある。ん、地下レストランなのかとも思ったが、どうも地下雀荘という感じで使っているようだった。
洞窟の大きさは幅1-4m、天井高さ2-4mほどで十分に広く、総延長は200m弱といったところだろう。2層構造になっていて、下層にさらに階段で降りると、その先でとても狭くなって終わっていた。
しかし、地表の道路を走り、周りの景色を見ている限り、洞窟がありそうな場所ではなかったのだが、そんなところの地下に二次生成物もそこそこ豊富な洞窟があるとは驚きである。まあ、このあたりの地層の大半は石灰岩なのだから、おかしくはないのではあるけれども。
ともかく200mもない洞窟でもあるので、見学もそこそこに地上に戻り昼食となる。ちなみに日本人用の鍋は白かったが、中国人用の鍋は赤かった。
この先の道も順調で17過ぎには務川に到達した。昨年までならば、務川に着くのは21時か22時ごろだったと思うので、大幅に早い。 そのこともあって、務川には寄らずに直接石朝に向かい、20時頃前に到着したように思う。すぐに食事をして、その後宿舎の整備をし、団体装備の準備や翌日の予定などのミーティングをしたあとに寝たはずである。
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コメント
なんかおもしろそうですねえ。行きたかった。
投稿: feijyai | 2009年3月 9日 (月) 14時09分