2007-2008遠征 4日目
前日の数時間の活動と違って、本格的な活動を開始する日である。朝8時に起床し、道を挟んだ反対側にあるバス停近くの店で朝食を取る。もちろん、麺である。最初は朝から麺は食べ慣れないものの、日本に帰ってからも食べたいと思うことがあるようになっている。
この日は、4箇所に別れての活動である。前日の活動時に洞口を確認した香火坑という、入り口少し先から完全に水面のみとなる洞窟、昨年1ピッチのみ降りて少し探検したのみの岩風湾洞、昨年滝に進路を阻まれて探検を打ち切った風背洞、そして昨年確認できなかった流入口の一つ三層岩消水洞である。 私は三層岩消水洞に行くことなった。班編成は水がありボートを多数使用する香火坑に4人、竪穴である岩風湾洞に3人、少人数でリギングと探検偵察を行う風背洞に2人、三層岩消水洞も2人である。事前情報で川が流れ込んでいるが水路沿いには入れず、少し先に竪穴があって降りると水面になっているというものだった。 事前情報どおりとすれば、入るのが厄介である。一応ロープなど竪穴装備は持っていく、水面は深かったらあきらめるという偵察という意味合いも強い班であった。
9時過ぎに石朝の町から、務川に向かう定期バスに便乗する。一般の乗客に混じってケイビングスーツで乗るというのも、日本ではなかなかないけれど、もちろん中国でもあまりないことなのか、奇異の目で見られていたような気がする。
バスで15分ほど、徒歩なら40分ほどかの場所で降りて、谷筋を上っていく。途中に2箇所ほど洞窟らしき洞口を見るがあまり大きくとのことなので、後回しにして先を急ぐ。道路から15分ほどゆるい傾斜の谷を上っていくと鞍部に出てもう少し行くと、急に視界が開ける。地形図ではほとんど崖表示であったので、降りる道があるのかと危惧していたが、実際は崖ではなく急な斜面といくらかの崖であった。遠くから川が流れてきているのが見え、右前方の崖の辺りで消える盲谷(ブラインドバレー)である。
斜面を降りて畑をしばらく行くと、川に出る。川沿いに少し下ると洞口だ。洞口と言っても落盤や落石で覆われたあたりの基部に水が吸い込まれていく感じで、立派な洞口はない。最初は水路沿いの洞口から中に入る。しかし15mも行かないうちに落盤や落石に進路を阻まれ進める道がない。事前情報の通りである。そこで、一旦出洞し、落盤の上を水路と同じ方向に歩いていくと、ほどなく水音の聞こえる竪穴が幾つか見つかった。これらのうち、降りやすそうな竪穴を選び、降下することとする。
ロープを用意し、ハンマードリルを取り出し、さあ、ボルトを打ち込もうという段になって、ボルトキットの中にスピットが入っていないのに気がついた。昨夜準備したときに、確認し忘れるという失態である。わざわざ、重いハンマードリルなどを持ってきた意味がない。 竪穴周辺を見ると、やや位置は悪いもののナチュラルアンカーがとれたので、ナチュラルアンカーでのリギングを行い、10時半過ぎに降下した。
竪穴といっても落盤の隙間を降りるだけなので、降下は5mほどである。竪穴を降りると水面という事前情報はここでは間違っており、地面の上に立てる。すぐに水路に出ることができたが、落差2mの滝があって水路沿いには降下できなかった。ただ、右手側の狭い通路を通れば、チムニーで降りることができた。その先にあたりで天井にもまた洞口が開いており、下に水面があったので、事前情報のあった場所はこちらなのだろう。 水面といっても浅いので仮にこちらを降りても問題はないだろうが、降下距離が10-15mほどと嬉しくはない。
洞口より50mほど進むと、水は岩の隙間に消え先に進めなくなる。ここで終わりかとも思ったが、水が消える箇所の少し手前の左岸側に直径50cmほどの隙間があり風が吹き込んでいるのが感じられた。そこに頭を突っ込むと、下に降りれそうで、かつ水音も聞こえたので、そちらを降りる。3m程フリーで降りると、滑滝の上に出る。そこをもう数m降りると水深50cmほどのプールがあって、そこからさらに奥に洞窟が続いていた。
あとはもう、水路沿いにがんがん進むだけである。すぐに洞窟は広くなり、落石の散乱する河原を水が流れていく。200mほど進んだところで水路沿いに進むのが狭くて困難になったが、上層の存在に先ほどから気付いていたので、上に登る。すると、幅、天井高ともに10m以上の大きな空間でずっと続いていた。時折、足元の隙間から水音が聞こえていた。
そんな通路をずっと進んでいくと、だんだん空間は広くなる。また二次生成物もこの地域の洞窟としては豊富である。 ただ、とりあえず探検が先決であるので、行ける所まで行こうということでどんどん進む。
そのうちに再び水路に一瞬下りたものの、断層沿いの通路を再び上にのぼり先に進むこととなる。この区間を抜けたところ、下り斜面の大きな空間に出て折りきると小石の散乱する河原となった。
ここはでかい、天井が20m以上である。写真を撮ろうということとなって、写真を撮っていたのだが、このころから妙な感覚に襲われた。なんとなく見覚えがある気がするのだ。だが確信はない。膝上までの水深のプールを越え、先に進む。するとやはり見覚えがある気がする。記憶に間違えがなければあと少しで右手に大きな支洞が合流するはずだと。
結果、その支洞は存在し、思い違いでなく、断層岩洞にいつのまにか接続していたことははっきりした。なぜ、すぐに判らなかったのかと考えてみると、昨年折り大幅に水量が少ないからだろう。右の河原のある通路の写真であるが、昨年は河原の幅一杯に水が流れていたように思う。
まあそんなこんなで、既知の洞窟に出てしまったので、昼飯を食べた後、どこだか判らぬ合流点まで戻り、洞口に向けて測量を開始することとした。つらつらと、戻っていくと、合流点が判明した。やはり、最初にでかい、写真を撮りたいと思った場所である。 昨年の測量時には落盤の山ということで、その先に支洞が存在するとは気付かなかった場所である。 実際に水面から見た限りでは先が続いているようには見えなかった。この付近の水中にはドジョウのような魚がいたが捕獲しなかったので、詳細は不明である。
13時ごろに測量を始め、往路で撮影しなかった二次生成物などを撮影していきながら洞口に戻る。16時過ぎに洞口まで戻り、測量を終えて出洞となるが、同行した中国隊の双刀がSRTで登るのを待つ間、周囲を見ていたところ、SRT降下点の岩の裏側の斜面を登ると、一番上で段差1mを越えて岩の隙間の下をくぐれば、外に出られることに気付いたので、そちらから出洞した。出てから振り返ってみれば、足元の隙間をくぐる感じであったので、歩いていては気がつかないのも道理であった。
洞窟の中で奥に行くときに、こうした箇所を通過した場合、帰りに道を見失いやすいということは覚えておきたい。逆の場合には、新洞をなかなか発見できないということでもある。
16時半に洞窟を出て、元の道を戻る。 改めて盲谷の末端を見たがが、石灰岸壁が美しい。とともに、登ると思うとうんざりする。30分ほどで、往路に見かけた洞窟に立ち寄るも、 20mほどまっすぐ続いて終わっているとの事で、調査は行わないこととした。時間があればやっても良いのだが、もう既に700mほど測量していることもあり、やる気はでなかった。帰りはバスはないので、のんびりと宿まで歩いて戻った。
19時半から夕食、その後21時過ぎからその日の活動報告や明日の予定を立てるミーティングを行なう。壁にロール紙タイプのホワイトボードを貼って、そこに説明の図などを書き込んでいく。話だけでなく、図を簡単に書いた方が理解しやすいし、また英語や中国語で説明しなければならない、中国隊メンバーに対してもやりやすくなるので、かなり効果的だ。そのあとは、データ整理と製図作業となる。測量をしなかった人は、 自由時間のようなものとなるが、スケッチをした人はかなり忙しい。 何もなければ、茶を飲んだり、ビールを飲んだりとできるのだけれど、あまりアルコールを摂取することはなく、ひたすら製図とそのお手伝いということで、夜は更けていく日々であった。就寝はだいたい23-24時半頃である。この日は何時に寝たのか覚えていない。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント